フアン・ラウル・ガルサとティモシー・マクベイ
2001年6月19日、麻薬業者として殺人を犯したとして、死刑判決を受けていたメキシコ系アメリカ人フアン・ラウル・ガルサ(Juan Raul Garza)が処刑されました。場所は8日前オクラホマ爆破事件の犯人ティモシー・マクベイが処刑されたインディアナ州の刑務所でした。
「連邦犯罪人」として死刑判決
ラウル・ガルサは1999年、ティモシー・マクベイは1995年、いずれも「連邦犯罪人」として死刑判決を受けました。
40年ぶりの死刑執行
連邦政府による死刑執行は40年間避けられていたにもかかわらず短期間に2人が処刑されたこと、マクベイの処刑が、死刑に全面的に反対するヨーロッパへのブッシュ大統領の最初の訪問と時をあわせるように行われたこと、更に、ブッシュ大統領が死刑のもっとも多いテキサス州の知事であったばかりでなく、大統領選挙戦の討論中に死刑支持を「喜んで(gleefully)」表明するような場面もあったことなどから、今度の処刑はさまざまな反響を呼び、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)紙などは死刑反対の社説を掲げるにいたっています。
「野蛮(uncivilized)」との声
なかでも注目されたのは、「先進工業国の大半が死刑を廃止しているか、法的には存在しても事実上実行していない。そうした中にあって、米国は死刑を実施している数少ない国」という論点です。死刑は野蛮であって、文明の進んだ国にはふさわしくない(uncivilized)というのです。
NYタイムズが一面で批判
そのせいもあるのかどうか、6月19日付 The New York Times 紙は、中国で犯罪者を死刑判決・執行にもっていくやり方は、米国の法手続きではとても考えられない乱雑なものということを示唆する記事を第一面に掲載しました。
中国は2000年に最低1,000名を処刑
アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International) によると、中国は2000年に最低1,000名を処刑したといいいます。つまり、2000年は全世界で少なくとも1,457名の人たちが「法定処刑」を受けたことが確認できましたが、そのうち3分の2が中国で処刑されたというのです。
サウジアラビア123名、米国85名、イラン75名
中国以外に多い順にみると、サウジアラビア123名、米国85名、イラン75名で、これら4ヵ国だけで全体の88%を占めたといいます(ここで「法的処刑」というのは、一応法律に基づいた処刑ということで、政敵の射殺など法定外の処刑 extra judicial executions を除くという意味です)。
増える廃止国
同じくアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)によると、現在死刑を廃止している国(領地を含む)は75ヵ国、戦争犯罪など例外的な場合を除いて死刑を廃している国は14ヵ国、死刑は法的には存在するが事実上死刑を行っていない国は20ヵ国あります。
「目には目を」
米国でも有数の政治・社会・文化評論家である Gary Wills がティモシー・マクベイの処刑に絡めて執筆した死刑の歴史的概観「マクベイと死のドラマ McVeigh: The Dramaturgy of Death (The New York Review of Books, June 21,2001) によると、西欧では古代から死刑は「復讐 vengeance」のためであることを明らかにしてきました。
トマス・ジェファソンの法文
その考えで一番良く知られているのが聖書「出エジプト記」の「命には命を、目には目を、歯には歯を」という言葉でしょうが、米国「独立宣言」の起草者として有名なトマス・ジェファソンは処刑の度合いを詳しく決める法文をも執筆し、そのなかで、まさにその「目には目を」の考えを踏襲していたと知ったら、驚く人もいるにちがいありません。
死刑執行は一種の見世物?
ちなみに、米国では死刑執行を一種の見世物とする風潮も1950年代まで存続していました。マクベイ処刑に絡んで、処刑放映について「権利」の争奪戦のようなものがあったのは、その風潮の名残といえます。
マクベイ処刑は正義
ところが、近年になると「復讐」では近代社会にふさわしくないという考えが生まれ、それに代わって「正義 justice」という概念を前面に押し出されました。ブッシュ大統領が、マクベイの処刑について、「復讐ではなく、正義のために行った」と発言したのはそのためです。
ヨーロッパの死刑廃止の理由
しかし、人を殺害することで正義を達成するという見方には、道義的にも社会的にも説得力がないという考えも強まりました。ヨーロッパ諸国の多くが、死刑を廃止したり、死刑執行をしなくなったのも、そういう考えの変化に基づいています。
最高裁が一時、違憲判決
米国の憲法修正第8条は「残酷で異常な刑罰」を禁止
一時「廃止」の判決も
ところで、米国の憲法修正第8条は「残酷で異常な刑罰 cruel and unusual punishments」を加えてはならないと定めてあり、その結果、事実上死刑を廃止するような最高裁判決が出たこともあります。
まもなく再開
ただし、それは死刑そのものを真正面から「残酷で異常な刑罰」として退けたのではなく、死刑決定を陪審の裁量に任せるのがよいかどうかという、いわば「技術的な」ことに関わるものでありました。そのせいで、死刑は一時的には行われなくなったけれども、間もなく再開しました。
1972年のFurman v. Georgia, Jackson v. Georgia, Branch v. Texasの違憲判決
すなわち、最高裁は1972年のFurman v. Georgia, Jackson v. Georgia, Branch v. Texas の3つのケースに対する判決で、ジョージアやテキサスのように、刑罰のなかでも究極的な死刑判決を科すかどうかを陪審の判断にまかせるのでは、結果的にあまりにも「気まぐれ」な事態を生ぜしめ、「残酷かつ異常な」状態を生みます。従って、これは修正第8条に違反するとしました。
ブレナンとマーシャル判事
この判決では、5名の判事のうちブレナンとマーシャル判事は死刑そのものを違憲として退けましたが、判決の対象が陪審員制度に関わるものであったことは変わりません。
1972年に州の死刑関係法規を無効に
陪審員の権限を規制
米国では、犯罪の追及と刑罰の執行は原則的に州の管轄とされており、この判決が出た当時全ての州が死刑の決定を陪審にゆだねていました。従って、1972年の最高裁判決は事実上州の死刑関係法規を無効にすることになりました。しかし、同判決は、死刑に関わる陪審の役割を規制すればよいという風に解釈される道を残していました。
2段階の裁判
その結果、35州が新たな死刑関係法を作り、うち10州が特定の犯罪については死刑判決とするよう法律を書き改め、25州は裁判を2段階に分けることで、いずれも死刑にかかわる陪審の決定権をいちじるしく削減しました。2段階というのは、第1段階で当該者の無罪か有罪かを決め、有罪となった場合には、第2段階で死刑を決めるための証拠を出すという仕組みをいいます。
1976年に合憲判決
1976年、最高裁判決はGregg v. Georgia, Proffitt v. Florida, Jurek v. Texas で死刑そのものを違憲とする考えを明確に退けました。
最高裁が合憲判決
この判決ではブレナンとマーシャルの2判事は再び死刑そのものが「残酷かつ異常な刑罰」であり違憲であるとしましたが、多数意見を書いたスチュアート判事は、連邦制度(つまり、米国の基礎となるのは州であって、米国はその連合体であるという考え)に触れて、この種の問題では州の見解を優先すべきであると示唆するとともに、「死刑と、それが制裁として持つ社会的有用性に関して道義的な見解の一致があること」に鑑み、「殺人への刑罰として死を科することは正当性のないことではなく、また違憲というほど厳しいものではないと結論せざるを得ない」と述べました。また、この判決では先述の2段階の裁判方式を合憲としました。
連邦と州
先に触れた通り、米国では犯罪に対する措置はおおむね州の責務とされていますが、連邦政府が追求する犯罪もあります。
ケネディ大統領の暗殺
しかし、連邦レベルで死刑が可能となるものは、長いこと、諜報、連邦資産(建物その他)内での殺人(マクベイの場合)、銀行強盗にからむ殺人、州を越える誘拐(これは有名なリンドバーグ事件の結果加えられた)などに限られ、ケネディ大統領が暗殺されたあと、ようやく大統領の殺害もこれに加えられました。
ブッシュ政権が新方針
ところが、1988年と1994年の法律で、議会はその範囲を大幅に広げた。また、ブッシュ政権下の司法省はこの問題について新たなガイドラインを出し、これまで州と連邦政府の双方が管轄下におくことのできる犯罪については、連邦政府は「連邦政府の関心度が高い」場合にこれを追求するとしてあったものを、当該州に「適切な刑罰」が存在しない場合にも、これを追求することになりました。
死刑廃止の州を狙い撃ち
この新たなガイドラインは、明らかに死刑を廃止している州を念頭に置いているとされています。
全米12の州に死刑がない
現在、死刑を定めていない州には、アラスカ、ハワイ、アイオワ、メイン、マサチューセッツ、ミシガン、ミネソタ、ノースダコタ、ロードアイランド、バーモント、ウェストバージニア、ウィスコンシン、およびワシントンDCがあります。ニューヨークは死刑を廃止していましたが、1995年、パタキ知事がこれを再導入しました。
残るは19人
マクベイとガルサが処刑された現在、連邦犯罪人として死刑判決(宣告)を受けている人の数は19名です。
70年代半ばまで減少傾向
米国の処刑者数(死刑執行数)は、1930年から1999年までの70年間に合計4,458人に達しました。10年ずつに分けてみると、1930年から1939年の間に1,667人、1940年から1949年の間に 1,284人、1950年から1959年の間に717人と、かなりの減少傾向となりました。
1968年から1976年までは死刑執行はゼロ
ついで、 1960年から1967年の間は191人と激減、米国の死刑に対する志向が急速に弱まったことを示しましたが、そのころから、死刑の合憲・違憲が問題になり、先に述べたような死刑方法を違憲とする1972年の判決を含め様々の最高裁判決がでた 1968年から1976年までは死刑執行はゼロとなりました。
四半世紀で596人が処刑
その後、死刑が復活、 1977年から1999年までの間には596人が処刑されました。これは1930年代の1年平均 167人に比べると、 52人と3分の1以下でありますが、1960年代、処刑者がなくなるまでの8年間の24人に比べると2倍以上であって、逆行といえます。
厳罰化で死刑判決が増加
1980年代は刑罰が厳しくなったため、服役者の数が膨張するとともに、死刑判決(宣告)を受ける人たちの数も増えました。次の表は死刑宣告を受けた人と処刑者の数です。処刑者(死刑執行数)は、1977年1人、1978年はゼロ、1979年2人、1980年はゼロなので、翌年の1981年から始めます。
年 | 死刑判決 | 処刑者 |
---|---|---|
1981 | 856 | 1 |
1982 | 1063 | 2 |
1983 | 1209 | 5 |
1984 | 1420 | 21 |
1985 | 1575 | 18 |
1986 | 1800 | 18 |
1987 | 1967 | 25 |
1988 | 2117 | 11 |
1989 | 2243 | 16 |
1990 | 2346 | 23 |
1991 | 2466 | 14 |
1992 | 2575 | 31 |
1993 | 2727 | 38 |
1994 | 2890 | 31 |
1995 | 3054 | 56 |
1996 | 3242 | 45 |
1997 | 3335 | 74 |
1998 | 3452 | 68 |
1999 | 98 | |
2000 | 85 |
日本での死刑判決
ちなみに、アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International) は、日本での死刑宣告者の扱いを厳しく批判する団体として知られていますが、それによれば、現在日本で死刑判決を下されている人の数は100人といいます。
テキサス州は、死刑数がトップ
処刑が再開された1977年以来の処刑者数を州別に見ると、テキサスが群を抜いて 242名、ついでバージニアの81名、フロリダの51名、ミズーリの46名、オクラホマの38名となっています。アラバマは実数では23名ですが、人口10万人に対する割合でいくと、最高となります。
1980年代から支持が強まる
いまとなっては、1960年代にはどのような国民感情の変化があって処刑者数が激減し、ついにゼロとなったばかりでなく、ひいては最高裁が死刑の決め方を違憲とするまでになったのかを調べることはできませんが、米国民の「死刑を好もしい」とする態度は、少なくとも1980年代の初めからは大きく変わっていないようです。
約7割が死刑制度に賛成
すなわち、ワシントン・ポスト(The Washington Post)紙と ABC News が共同で行った世論調査によると、1981年2月2日、「殺人犯という判決を受けた人を死刑にすることに賛成するか反対するか」という質問に対して、「賛成」と答えた人の割合は66%でありましたが、20年後の2001年4月24日、同じ質問に対して「賛成」と応えた人の割合は63%であまり変化がみられません。その間、割合が70%を越すこともしばしばあり、1994年には 80%に達しています。
ビル・クリントンは死刑執行に署名
政治家は、こうした国民の要望や嗜好には逆行できない弱みを持ちます。たとえば、1992年の大統領選挙では、ビル・クリントン候補が大統領になれば死刑廃止の方に向けて進むのではないかという期待がリベラルの間で表明されました。しかし、当時アーカンソー州の知事だったクリントン氏は、選挙中にわざわざ自分の州にもどって死刑執行の書類に署名して関係者をいたく失望させたことがあります。
ヒラリー・クリントンも死刑制度に賛成
クリントン夫人で現在上院議員のヒラリー・クリントンも、何度か死刑反対を表明していましたが、ニューヨークで上院選挙に打って出ると、死刑賛成の意を表明しました。長い蛇には巻かれろ、ということわざが思い出されます。