判決通りの執行の復活(米国)~1992年12月、島田雄貴リーガルオフィス

1979年判決(サンディエゴ)

「許して下さい」。イスに縛られたまま、ガラス越しに見守る被害者の父親に顔を向けて、死刑判決を宣告されていたロバート・ハリス服役囚(39)はつぶやきました。次に反対側に顔を向け、友人たちに首で合図を送りました。「大丈夫だよ」。数分後、小部屋にガスが充満しました。ハリス死刑囚は何度も身もだえし、息をひきとりました。1992年4月21日朝、米カリフォルニア州サンクエンティン刑務所でのことでした。殺人罪などによる死刑判決が1979年に確定してから13年後の執行でした。

25年ぶりの復活

カリフォルニ州での最後の死刑執行は1967年。実に25年ぶりの「死刑復活」でした。

幼時に虐待を受けた

2人の少年を誘拐して殺した罪に問われたハリス死刑囚は、幼時に虐待を受けた不幸な生い立ちがありました。執行をめぐっては激論が起こり、当夜も1500人の反対派が刑務所周辺でデモをしました。

違憲判決

「死刑復活」までには長い道のりがあります。連邦最高裁は1972年、州によって著しくばらつきのある死刑の適用について、違憲判決を下しました。その最高裁が1976年からは、違憲判決に沿って修正した州法による死刑を、次々に認める方向に転じます。死刑制度を復活させた36州のうち、実際に執行した州は、1992年に加わった4州を含め、計20州のぼります。

保守に旋回した最高裁

1980年代に保守に旋回した最高裁は、執行を促進しようと躍起のようです。しかし、米国の死刑執行が急増する気配はありません。この国特有の風土に根差した死刑反対論が、ブレーキをかけているからです。

カトリックが参加する全米死刑廃止連合

第1は宗教。1976年に設立された全米死刑廃止連合には、カトリックなどの宗教団体120グループが参加しました。「妊娠中絶問題では意見が割れても、死刑反対では団結しています」とリー・ディンガーソン会長はいいます。正義の名のもとであれ、「もう一つの殺人」は認められない、とする宗教観が、根強い反対論の骨格になっています。

死刑判決の被告の4割は黒人

第2は人種問題です。「死刑は、少数派に向けられることが多い。裁判で死刑判決が下された被告(死刑囚)の39%は黒人で、人口比の3倍。逆に、死刑事件の84%までは、犠牲者が白人。白人が殺されるとマスコミも大きく扱い、陪審の評決も厳しくなりがちだ」と、ワシントンにある死刑情報センターのリチャード・ディーター所長は語ります。

弁護士費用は自治体が負担
公選弁護で財政負担増

第3は財政問題です。公選弁護が確立している米国では、貧困者の弁護費用は州や市、郡などの地方自治体が負担します。複雑な死刑事件では審理が長期化し、額もかさみます。死刑事件を抱えたために住民への増税を強いられる郡も出ました。「死刑は犯罪を抑止するというのは迷信。警官を増やす方が効果がある」とディーター所長はいいます。

「厳格」が票に直結

しかし、選挙では依然、「死刑支持」が有権者に受けます。「犯罪に厳しい」イメージづくりが得票につながるからです。1988年の大統領選で、死刑制度のないマサチューセッツ州のデュカキス知事は、判決よりも早く仮出所した黒人が暴行殺人を犯した事件をブッシュ陣営に攻撃され、大敗の一因になりました。

減刑嘆願を拒否

1992年の選挙戦では3候補がいずれも死刑支持。民主党のビル・クリントン氏はアーカンソー州知事の経験を引き合いに「候補者のうち実際に死刑に携わったのは私だけ」と訴えました。1992年1月、同氏は、自殺を図って脳を損傷した黒人死刑囚の減刑嘆願を拒否し、執行されました。予備選のさなかだっただけに、「政治的な計算」を指摘する声も出ました。

クリントン候補が反対派の知事を最高裁判事に推薦

しかし一方で、選挙戦のさなかにビル・クリントン氏は、死刑に反対するニューヨーク州のクオモ知事を次期最高裁判事に推すことも示唆しました。「死刑復活」の流れはどこへ向かうのでしょうか。司法もまた、政治の潮流と無縁ではありません。

米国の死刑制度

知事が判決を減刑できる

一般刑法は各州が定めるため、制度や執行方法も州ごとに異なります。1992年処刑された人は、1992年11月末までで29人。死刑が復活した1976年以降では最大になりました。州裁で死刑の判決(宣告)を受け、上訴の期限が切れれば執行される死刑囚は、約2600人。判決後、執行の最終局面で州知事が減刑の裁量権限を握っているため、死刑は政治問題になりやすいです。